『あか組園児脱走事件』
あか組さんもすっかり慣れ、親も先生もホッと安心した頃。
そのスキをつくかのように、
「エッ!まさかっ!」
幼稚園史上、記録に残る画期的な事件が発生した!
「お母さんと一緒に帰りたいよ!」
大泣きが始まった。
先生方が、チームワークよろしく、抱き込み、
押さえ込んで教室の中へ入れるやいなや、
廊下に飛び出す。
門をよじ登ろうとしたところを
とり押さえられ、引き下ろされ悲しげなオリのサル。
門にしがみつき、
「開けてヨー、開けてヨー」と両手で門をガタガタと。
とその時、不思議なことに、
「開けゴマ」
重い鉄の門の扉が、大きくゆっくりと開いた。
突然開いた扉に驚いた男の子。
一瞬泣きやんだかと思うと、
今までになく大声で泣き、
いきなり門から飛び出し大通りに向かって走り出た。
その子を先頭に、あか組園児全員脱走。
たった一人、門の中にとり残され、気まずそうに下を向いていた子がいた。
それが、門の鍵を開けた和歌だった。
この降ってわいた騒動に、近隣の人たちは驚いた。
通行人の協力もあって、幸い事故もなし。
園児全員無事保護。
先生方もホッと胸をなで下ろした。
あか組保護者会
開園史上初めての出来事に、
さっそく、あか組保護者会が開かれた。
父兄の間で浮かび上がったのは、江崎和歌とその母親だった。
「江崎和歌は悪い子か?」
「今度はお騒がせしてすみませんでした」
と言う挨拶に始まって、事のいきさつが語られた。
-「はじめて親から離れる心の動き」-をテーマに、
今後も引き続く、良い参考例になると-。
◎幼稚園の保育方針
*1人1人の個を尊重
*自発性を大切にする
*思いやりのある子を育てる
3つをモットーに親と教師の話し合い。
「本当に人の事を思いやるやさしい子」とは?
親にとっても、教師にとっても大きな課題。
「江崎和歌ちゃんは、日頃静かで大人しいというイメージだったが
思い切った事をする子、
正義感と情に厚い子、
自分が決めた事は、自発的にやる子、
そして、本当はとっても思いやりのあるやさしい子だった」と園長の弁。
「おうちに帰りたいよー」と泣く子を、
ずっと可哀想にと思いつづけていた和歌ちゃんが、
ある日、意を決して、門の鍵を内側から開けてあげた、
ただ、それだけのことでした-。
そして、そこに至るまでのいきさつと、
心の動きと言動を観察していてくださった一人の若い女の先生が、
「私にも責任がある。教師冥利に尽きる出来事だった」と。
「和歌ちゃんは、泣いているその子のワキにしゃがみ込んでは、
いつも何か問いかけるかのように、言いきかせているかのようでした-。
きっと
『お母さんは、ちゃんとお迎えにくるよ-』と言っていたのでしょう」
今一つ、私に、
「先生、この子お家に帰りたいんだって」と、
「お母さんの方がいいって言ってるよ!」と、
何度も何度も、その子と先生の間を行ったり来たりして、
知らせに来ていたという。
涙ぐんでいるお母さん、
親も先生も、各々に思い当たることがあるのだろう。
かつて例を見ない保護者会だった。
私は最後に一言、
「本当の思いやりとは、随分責任が伴うもんなんですね。
お騒がせしてすみませんでした」
と、つけ加えた。
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